校長の東です。
先日、こんな内容をThreadsにポストしました。
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一見、対立するような内容に見えるかもしれません。
今回は、この2つを掘り下げてコラムにしてみます。
■「表現力」は、言語化が難しい
歌における「表現力」は、本当に言語化が難しいです。
なぜなら、音楽的な「上手さ」や「正しさ」の枠の外にあるからです。
ピッチのわずかなズレ。
リズムの揺らぎ。
独特の発声。
あり方。(佇まい。存在感。僕は”be”としています。)
そういった、いわゆる「正確さ」からはみ出した部分に、「表現力」の一端が宿ります。
だからこそ厄介で、数字で測れないし、正解が分からないのです。
■「表現力」を言い訳にしてしまうと、迷走する
「表現力」が言語化しにくいが故に、気をつけないといけないことがあります。
それは、技術を磨くことへの言い訳に「表現力」や「個性」を持ち出してしまうことです。
「ピッチが少しズレているのは、表現のうち」
「リズムが不安定なのも、個性」
そういう考え方に逃げてしまうと、技術の向上に蓋をすることになります。
そしてただただ、迷走してしまいます。
逆に、技術を磨き、歌が上手くなる過程で初めて「求めていた表現力」に触れる人がいます。
「表現力を身につけよう」と直接向かっていったわけではなく、技術を積み上げていく過程で「表現力」や自分の「個性」に触れる。
そういうパターンがあります。

■でも、「技術を見せるための歌」にもなってほしくない
一方で、これも本当のことです。
ピッチもリズムも良いのに、グッと来ない歌。
荒削りなのに、どうしても耳を奪われる歌。
こういうことが、音楽の世界では普通にあります。
「正確に歌うこと」が、決して「良い歌」や「カッコいい歌」に直結するわけではない。
技術は、間違いなく大切です。
でも、「技術を見せるための歌」を目指しても、聞いている人の心に届く歌にはなりません。
技術はあくまでも、表現のための土台です。
土台であって、目的ではないということに注意しておく必要があります。

■この2つは、対立していない
「表現力や個性を言い訳にしない」と「技術だけを見せる歌にならない」
一見、矛盾しているように見えるかもしれません。
でも、どちらも言いたいことは同じだと思っています。
技術を磨きながら、歌で何かを伝えようとすること(表現しようとすること)。
この両方を、同時に持ち続けることが大切なのだと思います。
「表現力のある歌唱」を求めつつも、求め過ぎると遠くなってしまう。
技術を積み上げながら、その先にあるものを意識し続ける。
歌って、本当に奥が深い。
だから、歌って、面白い。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回のコラムをお楽しみに。
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